|
|
現在の中国東北地区(満州)黒竜江省の按出虎水(アルチュフ川)流域にいた女真の完顔部から出た完顔阿骨打が遼に反乱を起こし、1115年按出虎水の河畔で即位して建国。金(女真語でアルチュフ)を国号とした。1125年までに遼を滅ぼして内モンゴルを支配。さらに遼攻撃に際し盟約を結んだ宋の約束不履行を名目に華北に進出し、1127年北宋を滅ぼして中国の北半を征服した(靖康の変)。都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。
金は猛安・謀克の制度により編成された女真族の武力をもって領土を拡大したが、世宗のころまでに南宋との和議がなると次第に中国化し、弱体化していった。1211年からチンギス・ハーンのモンゴル帝国軍の侵攻を受け、1214年にモンゴルの侵入を避けるため開封に遷都した。これにより故地東北を含む黄河以北の大部分を失った。その後もモンゴルの南進を食い止められず、1234年ついに開封を包囲・占領され、金は滅亡した。
順に廟号(廃帝は王号)、女真名、中国名、在位年、続柄を示す。
金の皇帝
金の年号
前の時代:北宋
中国史
次の時代:元