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| Table of contents |
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2 氏姓制度(うじかばねせいど) |
ヤマト政権の豪族層は、ウジと呼ばれる組織を形成していた。蘇我氏・紀氏・大伴氏・物部氏・秦氏・漢氏・忌部氏・史氏等をはじめ大小幾多のウジがあった。
古代のウジは、血縁関係ないし血縁意識によって結ばれた多くの家よりなる同族集団で、有力家族の長が氏上(うじのかみ、うじがみ)となり、族長的な地位に立っていた。その直系・傍系の血縁者や非血縁者の家族を氏人(うじびと)といい、これに隷属し統率されていた。
ウジは、ヤマト政権の政治組織という性格をもっていた。ウジはたんに自然発生的に形成された血縁的集団ではなく、大王に臣従を誓い、奉仕することを義務づけられた血縁的集団である。中央・地方のウジは、大王との間に隷属・奉仕の関係を結び、それを前提にして氏上は朝廷における一定の政治的地位や官職・職務に就く資格と、それを世襲する権利を与えられた。また、その出自(しゅつじ)や政治的地位・官職の高下・職務内容の違いに応じて、カバネを賜与され、部民(べみん)などの隷属民を領有することを認められたのである。
一般に氏姓(うじかばね)制といわれる。
ウジの組織は、5世紀末以降、史料から確認できる。広範に整備されるのは6世紀のことである。
臣(おみ)と連(むらじ)は、基本的な違いが存在していた。それは、臣と称する豪族は、蘇我氏・吉備氏など、一般に地名をウジの名とし、それぞれの地域を基盤とする首長であったのに対して、連と称した豪族は、大伴氏・物部氏など、トモとしての職掌を名にもつ伴造のウジとしたのである。つまり、臣は王権に対して相対的な独自性を有するが、連は大王への臣従をその本質としたのである。
伴造氏族の成立は、雄略朝において認められる。稲荷山鉄剣にみえるヲワケは、杖刀人集団(トモ)を率いる伴造であった。
ここは、鎌田元一氏や前之園亮一氏の部民制を主に参考にしました。
部民制の成立
5世紀頃には、畿内の及びその周辺の中小豪族をトノモリ(殿守)・モヒトリ(水取)・カニモリ(掃守)・カドモリ(門守)など、宮廷の各種の職務を世襲的に分掌する「トモ」として、大王のもとに組織する体制が成立していた。そのようなトモ制の拡大・発展の結果、5世紀後半には、さらにトモノミヤツコ(伴造)がトモ(伴)を率いるという体制も整備された。氏姓制度(うじかばねせいど)
ウジは臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)などがある。
品部(しなべ)、部曲・民部(かきべ)、子代(こしろ)・名代(なしろ)・御名代(みなしろ)
今日の一般的な理解は次のようになっている。
品部とは、海部(あまべ)・馬飼部(うまかいべ)などのように具体的なしごと仕事名を帯びる部のことで、それぞれ伴造に統率され、朝廷に所属する。
子代・御名代は、刑部(おさかべ)・額田部(ぬかたべ)など、王(宮)名のついた部のことで、伴造に統括される一種の品部であるが、特に王家・王族の所有である点が特徴である。品部は、舎人(とねり)・靫負(ゆげい)・膳夫(かしわで)などとして奉仕する
部曲(みんぶ)は諸豪族の所有民で、蘇我部・大伴部など、豪族の名を帯びる部である。
部とその所有者との関係を軸とした説明であるが、異論も多いようである。
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