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陳勝は若い頃日雇い農夫をしていた。仲間に対して大きな事を言っていた為馬鹿にされたが陳勝は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。」(燕や雀のような小さな鳥にどうして鴻鵠の大志がわかろうか)と意に介さなかった。
陳勝が秦の官吏に命じられて人夫を護送していた所、途中の道で大雨に遭いどうしても期日には間に合わなくなってしまった。秦の法律ではこの場合陳勝は死刑である。追い詰められた陳勝は「どうせ死ぬならば反乱を起こして死ぬ。」と仲間の呉広と共に反乱を起こした。この時陳勝は兵士を意気づけるために「王侯将相いずくんぞ種あらんや。」(王や諸侯、将軍、宰相になるのには人種で決まっているわけではない。だれでもそういった顕位に登ることが出来るのだ)という名言を吐いた。
陳勝の反乱軍は瞬く間に膨れ上がり、旧楚の首都陳城を占領し、楚を復興したという名目で国号を張楚とし王位についた。
勢いに乗った陳勝軍は咸陽に向けて遠征軍を起こす。しかしこの軍は秦の章邯に大敗した。さらに陳勝自身も大軍を率いて章邯と会戦するも大敗。これで形勢が悪くなったと思われたのだろう。陳勝は側近の荘賈という御者に殺された。
反乱軍はこれ以降、項梁や項羽に引き継がれる事になる。失敗に終わったとはいえ反乱のさきがけとなった陳勝と呉広の功績は大きく、後世物事のさきがけを表す言葉として陳勝呉広と言われる様になった。