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藤堂平助

藤堂平助(とうどう へいすけ 弘化元年(1844年)~慶応三年(1867年)十一月十八日)

武蔵野国江戸出身。伊勢・津藩主藤堂和泉守のご落胤といわれているが真相は不明。 美男子であったといわれる。北辰一刀流 目録。玄武館 千葉道場。

近藤勇の道場 試衛館以来の生え抜き隊士で八番隊組長を務めた。 近藤や山南、他の隊士からも可愛がられたようだ。 いざ、戦いの場に立つと先陣をきって敵に飛び込んむ豪胆さで、魁先生と呼ばれていた。

池田屋事件では、よく働いたが油断をして鉢金を取ったところ斬りつけられ負傷している。

元治元年 十一月に伊東甲子太郎入隊。この入隊に先立って、伊東に入隊を勧めるため江戸に上ったのが 藤堂である。藤堂と伊東は同じ北辰一刀流の同門で、かねてから親交があったと思われる。(伊東道場の寄り弟子だったともいわれている)

藤堂の転機が訪れたのは、慶応元年の二月。 兄と慕った北辰一刀流の同門、総長 山南敬助の脱走・切腹である。

慶応三年三月 伊東甲子太郎は御陵衛士高台寺党)を結成すべく新選組を離脱。この離脱に新選組結盟以来の幹部で あった藤堂も加わり新選組に別れを告げた。伊東の入隊、山南の切腹が離脱を決意させた。思想も勤王・倒幕に傾倒していったようである。近藤も藤堂の離脱には驚いたようである。

慶応三年十一月十八日。油小路で新選組に討たれる。(油小路事件

永倉新八が油小路に向かう前、近藤の口から「藤堂だけは生かしておきたいものだな」と聞き、 藤堂が逃げれるように道をあけたが、事情を知らぬ隊士(三浦常三郎)に斬られた。享年二十三歳。





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