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映画俳優。本名、田村傳吉。東京都生まれ。1916年高等科を卒業後、芝居の世界へと入門し、1918年に初舞台を踏む。1923年マキノ映画製作所結成にあたり、スカウトされ入社する。
その後独立し阪東妻三郎プロダクションを設立。松竹と提携し、ヒット作を飛ばすが、阪妻のヒーロー像は次第にマンネリズムを生み、人気は徐々に低落。1936年「怒涛一番乗」を最後に12年続いた阪妻プロは解散。
トーキーに始めて出演した際に甲高く細い声がファンの失望を呼んだことが、人気低落の理由のひとつと考え。彼は一転トーキーを克服すべく、大声を出す練習を重ねる。努力の甲斐あり、再生一作目となる「恋山彦」前後篇では、剣戟王・阪妻の復活を告げる素晴らしい立ち回りを披露。
1953年「あばれ獅子」に撮影中体調を崩し、同年7月脳膜出血により死去。享年51歳。
なお4男を持ち、うち次男を除く高廣・正和・亮の3人は俳優となり、彼らの活躍は現在に至る。