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藤原道長

藤原道長(ふじわらのみちなが、康保三年 - 万寿四年十二月四日(966年 - ユリウス暦1028年1月3日))は、平安時代貴族、廷臣。後一条天皇の摂政。藤原兼家の四男(五男との説もある)で、兄弟に道隆・道兼らがいる。

995年、兄道隆の子である内大臣伊周と争って勝利し、内覧の宣旨を受け、右大臣となった。翌年には左大臣に昇進した。

999年一条天皇のもとへ長女・彰子(しょうし)を入内させ、翌年中宮とした。1012年、一条天皇の次に即位した三条天皇の元へは次女の妍子(けんし)を入内させ、後に中宮とした。1016年、彰子の生んだ後一条天皇が即位すると、その摂政となった。同年左大臣を辞し、太政大臣となった。

後一条天皇が11才になった時、道長は三女の威子(いし)を入内させ、後一条天皇の中宮とした。一つの家から三人の中宮が出るのは史上初のことであった。威子の立后の日に、道長の邸宅で酒宴が開かれ、道長は「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ。後一条天皇の同母弟、東宮敦良親王(後の後朱雀天皇)には、四女嬉子(きし)も用意されていたが、嬉子は後冷泉天皇を生んで早世した。

道長の33歳から56歳にかけての日記は『御堂関白記』と呼ばれ、自筆本14巻、書写本12巻が京都の陽明文庫に保存されている。当時の政治や貴族の生活に関する、超一級の史料として、1951年(昭和26年)に国宝に指定された。

太政大臣となった翌年の1017年に摂政を子の頼通に譲り、1019年に出家した。晩年、法成寺を建立してそこに居住したので御堂関白とも呼ばれるが、関白になったことはない。





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