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| Table of contents |
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2 事件の段階 3 事件の影響 |
背景としては、日本人警察官が、地元のタイヤル族住民に対し固有の文化を無視した生活指導を行った事、重い労務を課した事、商取引の利益を中間搾取していた事などが指摘されている。
事件の第1段階は、タイヤル族のリーダーのひとりモーナ・ルダオを中心とした6つの蕃社(村)1200人ほどのグループによる霧社公学校運動会への襲撃であった。日本人のみが狙われ約143人ほどが殺害されれた。
事件の第2段階は、蜂起に参加した村々への日本軍・警察による鎮圧作戦である。山中に立てこもるタイヤル族の戦闘員・非戦闘員に対し、火砲や航空機などの近代兵器を用いて攻撃するほか、親日派タイヤル族を戦闘員として動員するなどして掃討した。毒ガスを使用したとの疑惑も根強い。
その結果700人ほどの抗日タイヤル族が殺害もしくは自殺、500人ほどが投降した。
事件の第3段階では、投降し収容された生存者を、親日派タイヤル族が襲撃した。多数が殺され、生存者は300人程となった。襲撃を手引きしたのは日本人警察官であったと言われている。
最終的に生き残った人々は濁水渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者らは警察からの厳しい監視と指導のもとに生活した。その後も事件参加者への警察の摘発は続き、連行されたまま行方不明になった人々も多い。
事件前から霧社は台湾総督府による埋蕃統治の先進地域であったにもかかわらず、大規模な蜂起が起こった。そのため、台湾総督府は原住民に対する露骨に蔑視的な政策を修正し、かわりに皇民化教育を加速してゆく。その結果、太平洋戦争時には原住民から多数の若者が高砂義勇隊として戦地に赴いた。
事件の背景
事件の段階
事件の影響