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芹沢鴨

芹沢 鴨せりざわ かも文政十年(1827年)? - 文久三年九月十八日(1863年10月30日))

新撰組の筆頭局長。神道無念流免許皆伝の剣客。本名は木村継次(下村嗣次?)。常陸芹沢村の郷士で水戸天狗党にも在籍していた。天狗党時代に部下三人を気に食わない事があるとして首を斬り落とし、入獄。入獄中、小指を噛み切り、その血で辞世を認めたという。 

文久二年十二月 大赦の令で出獄。 文久三年二月五日 清河八郎が発案した浪士組に参加。近藤勇土方歳三らの試衛館派の姿もここにあった。

上洛後、清河が幕府を裏切り江戸へ戻り攘夷を決行すると唱えると、これに反対したのが芹沢と近藤であった。

その後、浪士組と分裂し京に残った芹沢派と近藤派、その他合わせて二十二人は、京都守護職 松平容保に 嘆願書を出し、会津藩御預かりという身分になった。

豪傑肌で一廉(かど)の人物であったが、短気で我がままで乱暴者で酒乱の気があった為、扱いが難しかった。いつも手にしていたのが「尽忠報国の士 芹沢鴨」と刻んだ鉄扇で、何か気に食わないことがあるとそれを振り回し怒号した。

角屋での暴挙、大和屋の焼き討ちなど京都の治安を守る身ながら無法を繰り返す為、京都守護職 松平容保より近藤勇へ芹沢鴨、粛清の密命が下る。

文久三年九月十八日の真夜中、壬生八木邸において就寝中に粛清された。同じく水戸脱藩の芹沢派平山五郎も殺された。土方歳三沖田総司原田左之助山南敬助が実行したと言われている。この時期、新選組は近藤派と芹沢派で分かれており、芹沢派は平間重助(芹沢鴨暗殺時に脱走)以外は全て粛清された。(新見錦:切腹、野口健司:切腹)。

以後の局長は近藤になる。

小説やドラマでは、芹沢はほとんど悪役として描かれる。





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