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菩薩(ぼさつ、bodhisattva(sanskrit))は、仏教において、仏陀になろうとする修行者。サンスクリット語のボディサットバ(bodhi-sattva)は、漢訳された場合「菩提薩捶」となる。「菩提」は「覚」であり、「薩捶」(さった)は「生きている者」の意味で衆生とか有情と意訳された。このため、「悟りを求める人」と「悟りを具えた人」の二つの意味で呼ばれるので、インドでの菩薩には2種類の菩薩が、さらに中国では「インドの大乗仏教の僧」を菩薩と呼んだから、同じ菩薩に3種類あるから、注意が必要である。
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2 日本における菩薩 |
前提概念
大乗仏教運動が起こった背景にはさまざまな理由が考えられるが、釈迦と同じ修行をしていた部派仏教の僧侶が誰も仏陀に成れなかったことから起こった運動とも考えられる。
その大きな要因を二つ考え、欠けた者たちを次のように呼んでいた。
現世で活動するための菩薩
すでに悟りを得ているにもかかわらず、仏陀となることを否定した菩薩もいる。これは仏陀自身の活動に制約があると考えられたためで、いわば仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ。
この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩であろう。彼らは、釈迦のはたらきを象徴するたけでなく、はたらきそのものとして活動するのである。他にも、観音菩薩、勢至菩薩なども、自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である。
むしろ、成仏を目的とすることさえ否定することが、仏陀となることの条件であるとさえ思われる。
インドの大乗僧
中国では、インドの有様が詳細に伝わったわけではないので、ことに初期大乗仏教の学僧たちを菩薩と尊称した。龍樹菩薩、世親菩薩などとするのがこれである。
注意が必要とされるのは、弥勒菩薩であり、未来仏の菩薩としての弥勒菩薩と瑜伽師地論を編纂した弥勒菩薩と二人の菩薩がいるので、注意が必要である。
日本における菩薩
神仏習合
神仏習合の一段階として、日本の神も人間と同様に罪業から逃れ自らも悟りをひらくことを望んでいるという思想が生まれた。それに基づき、仏道に入った日本の神の号として、菩薩号が用いられた。八幡大菩薩が代表的である。