代表的な落語家 桂枝雀((かつら・しじゃく) 上方落語の立役者。神戸出身。元々は漫才出身だが、大学時に落語に転向し、米朝に入門、古典落語を修める。しかし古典の美学を究めるより、笑いを求めて精進の結果、「爆笑王」の異名を取るに至った。 独特の枕や英語落語、海外公演でも有名。落語界きっての理論家でもあり、「緊張・緩和」によって笑いが起こるとした。 弟子や妻子にも恵まれたが、路線の違いを巡って師匠と絶縁したり、晩年は芸に悩んで鬱病になるなど、芸の上では悩みが多かった。 「貧乏神」「茶漬け閻魔」など、創作落語も多い。松本留五郎などの名キャラは有名。 古今亭志ん生(五代目)(ここんてい・しんしょう) 旗本美濃部家の息子だが、遊びが過ぎて勘当され、芸を志す。当初は落語だけでなく講談もやっていたが、一向に芽が出ず、赤貧生活が続いた(「なめくじ長屋」)。 戦争中、酒がたらふく飲めると聞いて満州慰問に出かけ、そのまま行方不明。戦後、引き上げてからはその自堕落で天衣無縫な芸風が人気を博し、流行噺家に。十八番に「火焔太鼓」「唐茄子屋」など。与太郎や駄目亭主をやらせれば天下一だった。 噺中に酔って寝込むなど、エピソードも多い。また客も「志ん生、ゆっくり休めよ」と答えたという。 桂文楽((八代目)(かつら・ぶんらく) 志ん生の闊達な芸風の対照に、文楽の謹厳な芸風がある。李白と杜甫の間柄にも似ているが、両者は並んで昭和の落語界を支えた。 文楽の芸は緻密で芸術的であり、特に豆を箸でつまんで食べる食芸は絶品とされた。芸に対しては自分にも他人にも厳しく、傲慢なところもあった。元々桂文楽の「八代目」ではなかったのだが、八は縁起がいいということで、勝手に八代目を襲名したのである。 その芸は一点の狂いもなく行われるのが特徴だったが、ある時上演中に噺を忘れ、「出直して参ります」として下がった。以後、高座にあがることはなく、没した。上野の黒門町に住まいがあったため、「黒門町」とも呼ばれた。ちなみに文楽が会長であった落語協会も黒門町にある。 三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう) 江戸末期から明治にかけて活躍した落語家。落語筆記や寄席の近代化、新作落語など、落語の近代化に尽くしたため、中興の祖として仰がれる。講談的な人情噺を得意とした。「牡丹灯篭」「芝浜」「真景累が淵」「乳房榎」などが代表作である。 明治期の名士であり、夏目漱石の小説などにも描かれた。墓は谷中にある。 林家三平((三代目)(はやしや・さんぺい) 「よしこさ~ん」などの歌謡フレーズ、ギャグや駄洒落を取り入れたスタイルで、高度成長期に一世を風靡した落語家。客いじりが絶妙で、彼の寄席は常に爆笑の渦であったとされる。落語とバラエティ番組の接点を切り開いたタレントとしても知られる。 大衆ウケする反面、芸が未熟としてなかなか襲名が適わなかったが、大病の後、芸が老成した。しかし間もなく肝ガンで死去。享年54歳。 父(七代目林家正蔵)に落語の手ほどきを受けるが、月の家円鏡に師事する。 弟子として林家ぺー、息子に林家こぶ平(2005年に九代目正蔵を襲名)・いっ平、娘はタレント海老名みどり、妻はエッセイスト海老名香葉子(えびな・かよこ)。 関連記事 江戸噺家 上方噺家 亭号・屋号