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赤道ギニア(せきどうギニア、Ecuatorial Guinea)は正式名称赤道ギニア共和国 (Republica de Guinea Ecuatorial) であり赤道直下のギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島などの島々、および大陸部のムビニから成る国。高温多湿の熱帯性気候。首都であるマラボはビオコ島にある。
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| 国のスローガン : 無し | ||||
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| 公用語 | スペイン語、フランス語 ファング、ブビ語? | |||
| 首都 | マラボ | |||
| 面積 - 合計 - % 水域 | 世界第141位 28,051 km² - % | |||
| 人口
- 合計(2002年) - 人口密度 | 世界第159位
510,000人 18人/km² | |||
| 独立
- 日 | 英愛条約
1968年10月12日 | |||
| 通貨 | CFAフラン (XAF) | |||
| 時間帯 | UTC + 1 | |||
| ccTLD | .GQ | |||
| 国際電話番号 | 240 | |||
人口:47万人(2001年推計)
言語
スペイン語とフランス語が公用語だが、ファン語やブビ語が主要言語
歴史
15世紀にポルトガル人がビオコ島に上陸、ポルトガル領とされたが、1778年にポルトガルはブラジルの領有権を認めてもらうことと引き替えにスペインに割譲。以降奴隷貿易の中継地となった。1968年10月12日、マシアス・ヌゲマ(以下マシアス)を大統領とし独立。ソ連圏と緊密な関係を維持。マシアスは1970年に政党活動を禁止し、1972年には終身大統領を宣言、1973年大統領への絶対権力の集中を定めた憲法を採択、独裁体制を固めた。
1979年8月マシアスの甥のテオドロ・オビアン・ヌゲマ中佐(以下ヌゲマ)がクーデター、マシアスを処刑して大統領に就任、軍政を敷いた。1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択したが、クーデター未遂がたびたび発生。1987年、ヌゲマ大統領の一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。1989年ヌゲマ大統領3選。
民主化を要求するスペイン、フランス、米国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発。1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ヌゲマ大統領が得票率99%で4選。
1997年6月、ヌゲマ大統領は進歩党のセベロ・モトヌサ党首に武器密輸容疑をかけ、進歩党の政治活動を禁止。モトヌサはスペインに亡命。裁判所は8月、国家反逆罪でモトヌサに懲役101年の判決。
1999年3月の総選挙でPDGEが80議席中75議席を獲得。残り4議席を人民同盟、1議席を社会民主連合が獲得。11月に進歩党など6つの反政府野党が民主化促進を掲げ、野党連合である民主野党戦線を結成。2002年12月の大統領選で野党4候補がボイコットし、ヌゲマ大統領が得票率97.1%で5選。2004年1月現在、ヌゲマ大統領とPDGEによる強権支配が続く。
大統領:テオドロ・オビアン・ヌゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema Mbasogo、任期7年、1979年8月3日就任)
首相:キャンディド・ムアテテマ・リバス(Candido Muatetema Rivas、2001年1月就任)
議会:一院制の人民代表院(80議席、議員任期5年)政治