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PC/AT互換機(ピーシーエーティーごかんき)とは、1984年にIBMが発売したパソコンであるPC/ATの仕様を公開したことを受けて、他の企業が互換性を持たせて発売したパソコンのことを言う。
| Table of contents |
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2 日本における普及 3 用語 4 拡張されている機能 |
事実上、パソコンの標準機となっている。
ハードウェアやBIOSのインターフェースを共通にすることで、ソフトウェアや周辺機器が複数のメーカーのパソコンで利用できる。
結果として、AT互換機の規格に基づいて設計された部品は、組み合わせに関して暗黙の保証を与えることとなり、メーカーでは無い個人でも、比較的容易にコンピュータを組み立てられるため、零細なガレージメーカーのほか、自作機と称して個人が必要な部品を買ってコンピュータを組み立てることも盛んである。
ただし、実際には規格に準拠していても、個々の部品特性のバラツキなどから動作に不具合が生じる場合も無いとは言えず、製品の種類数や組み合わせ数が膨大なため、メーカーでもすべての組み合わせの対応を検証することは不可能で、製品の動作を保証しないこともある。これを俗に相性という。
現在ではさまざまな拡張がなされ、厳密にはPC/AT互換ではないが、パソコンの種類を示す通称として使われている。
1980年代のうちからPC/AT互換機を独自に日本語化した製品を、各メーカが製品化していた。しかし、各社バラバラの方式で拡張していたため、当時のNECのPC-9800シリーズの牙城を崩すには至っていなかった。
かろうじて成功をおさめていたのが、東芝のJ-3100(Dynabook)だった。これはCGA/EGAをベースに日本語化したものである。DOS/V発売後にVGA対応がなされたが、東芝は完全にDOS/Vに移行した。
PC/AT互換機を日本語化する別アプローチからの方策として、1986年には、マイクロソフト主導によるAXという仕様も策定されている。これはEGAをハードウェア的に拡張したJEGAボードによって日本語化を行なうものであった。
また、AX規格の制定の頃から、海外でのPC/AT互換機では、より上位の表示規格であるVGAや、さらに拡張されたスーパーVGAが主流になったが、時代の流れを読み違え、EGAベースで、しかも非常に拡張性の低い方式を採用してしまったため、DOS/Vの登場によって存在意義を失った。
AX協議会は発展的な解消を遂げ、参加各社はOADGに「移行」した。
日本でのPC/AT互換機の本格的な普及は、1990年に日本アイ・ビー・エムが、PS/2ベースの自社製品を対象に、特別なハードウェアなしにソフトウェア処理のみで日本語の取り扱いが可能になるOS「DOS/V」を発売し、それが、安価で高性能な英語仕様のPC/AT互換機で動くことが知られて、マニアの支持を集めたことで始まった。
業界団体として作られたOADGにより、日本語キーボードが標準化がなされたのもこの時代である。OADGも、当初は弱者連合などとも揶揄された。初期に富士通が脱退するなどのごたごたもあった(のち復帰)。
日本語版Windows 3.1は、リリースが大幅に遅れたが、1993年に発売されるとブームになり、パーソナルコンピュータを急速に普及させた。その過程で、安価で高性能、かつ内外多数のメーカから機種を選択できるということで、PC/AT互換機は日本でも段々一般化していった。そして、最終的にPC-9800シリーズの牙城を崩すに至ったのである。
しかし、これは諸刃の剣で、世界標準のPC/AT互換機がそのまま日本語環境で使える事になったため、海外、特に低廉な台湾製のPC/AT互換機が大量に流入するに至って、日本メーカの多くは独自の製品開発を放棄してしまうようになった。
現在は、多くのメーカが台湾などのメーカからOEM供給を受けてPCを販売するようになってしまっている。概説
PC/ATの仕様公開以後、多くの互換機メーカーや、台湾を中心とした部品メーカーが登場し、競争によるコストダウンが進み、標準パソコンの地位を築いた。日本における普及
黎明期
AX規格の登場
当時、NECと東芝、富士通、日本アイ・ビー・エムを除く家電やコンピューターメーカ等は、AX協議会に参加し、AX規格のPCを販売したが、本来低価格なPCの値段を押上げ、海外ソフトを動作させる必要があった外資系企業で使われた程度で、国内でのシェアは低かった。DOS/Vの登場と日本での夜明け
PC-9800シリーズが640×400ドットの狭い画面でしかWindowsを動かせなかったのに対し、いわゆるDOS/V機では標準でも640×480ドット、ドライバを組み込めば、800×600ドットや1024×768ドットといった、より高い解像度でWindowsを動かせた。
当時はWindows 3.0の時代で、アプリケーションも少なかったが、その間、ネットワーカーたちによって環境の整備やノウハウの蓄積が行なわれた。DOSの日本語拡張表示機能であるV-Textは、西川和久氏やLepton氏らネットワーカーたちによって考案され、IBM公認の仕様となったが、当時のDOS/Vブームを大いに煽った。日本でも標準機の地位を確立へ